ブックレビュー|「永遠の別れ―悲しみを癒す智恵の書」:エリザベス・キューブラー・ロス 、デーヴィッド・ケスラー
エリザベス・キューブラー・ロス 、デーヴィッド・ケスラー著の「永遠の別れ―悲しみを癒す智恵の書」を読みました。
エリザベス・キューブラー・ロスは、死の間際にある患者とのかかわりや悲哀(Grief)の考察や悲哀の仕事(Grief work)についての先駆的な業績で知られるアメリカ合衆国の精神科医。5段階の「死の受容のプロセス」と呼ばれている「キューブラー・ロスモデル」の提唱者です。
この本は家族や友人など近い人の別れを経験した人へ向けた、「悲しみを癒す知恵の書」となっています。
そのため、通常自己の死に対する受容のプロセスとして説明されている 否認・怒り・取引・抑うつ・受容 といった「死の受容のプロセス」が、本書では死にゆく人を看取る側の受容のプロセスとして、沢山の事例をもとに説明されています。
「悲しみを癒す」という言葉がぴったり。ゆっくりと優しく、けれど率直なトーンで。
今までタブー、口にしてはいけないと思っていたこと、また今まで誰も言ってくれなかったようなことが書いてあり、はっとさせられながら読みました。
私が今まで誰にも話せなかったことの一つに、「安堵感」があります。
母が1年半の闘病生活の末に息を引き取った時、私は大きな大きな悲しみとともに安堵を感じました。
母が闘病中、自分が健康でいること、したいことをできること、 何かを楽しみにできること、つまりは幸せを感じると罪悪感を感じていました。大好きな母がこんなに苦しんでいるのに、自分は「楽しい」と感じているなんて。それはいけない。申し訳ない。
そして母が亡くなり、大きな悲しみととめどなく溢れ出てくる涙とともに「ああ、やっと終わった。」と感じていた自分がいました。
やっと終わった。みんなが泣いて悲しんでいる中、やっと終わったと思うなんて。
母が亡くなってしまったのに、自分のことを考えている自分に罪悪感を感じました。
本書ではこの愛する人が亡くなった後に感じる「安堵感」について触れている項があります。
なぜ、愛する人が亡くなってほっとするのか。
それはだって、彼/彼女が苦しみからやっと解放されたことを知っているから。
それはそうだ。
多くの人がこの安堵感を感じること、またそれを感じた多くの人が私同様戸惑いを感じると聞き、目からウロコでした。
体が思うように動かなくなって、辛いのではないか。
痛くて、辛いのではないか。
死ぬのかな、なんて思って辛いのではないか。
そう思って母に接していた毎日は、母がかわいそうで、辛くてたまりませんでした。
母が亡くなって、闘いが終わったんだと思って感じたあの安堵感。
もう辛くないね、痛くないね。
今まで認めることも恐れていて、あるのにないことにしていたようなこの気持ち。そうだ、この安堵感は母を愛していたからこそ、辛さからの解放に対する安堵だったんだと思えるようになりました。
愛する人が亡くなった後も、残された私たちの物語は続きます。
この本はそんな私たちが日々ちょっとずつ前へ進むヒントをくれると思います。
誰かが亡くなってすぐでも、時間が経ったあとでも心に響く一冊です。
永遠の別れ―悲しみを癒す智恵の書
日本教文社
エリザベス・キューブラー・ロスは、死の間際にある患者とのかかわりや悲哀(Grief)の考察や悲哀の仕事(Grief work)についての先駆的な業績で知られるアメリカ合衆国の精神科医。5段階の「死の受容のプロセス」と呼ばれている「キューブラー・ロスモデル」の提唱者です。
この本は家族や友人など近い人の別れを経験した人へ向けた、「悲しみを癒す知恵の書」となっています。
そのため、通常自己の死に対する受容のプロセスとして説明されている 否認・怒り・取引・抑うつ・受容 といった「死の受容のプロセス」が、本書では死にゆく人を看取る側の受容のプロセスとして、沢山の事例をもとに説明されています。
「悲しみを癒す」という言葉がぴったり。ゆっくりと優しく、けれど率直なトーンで。
今までタブー、口にしてはいけないと思っていたこと、また今まで誰も言ってくれなかったようなことが書いてあり、はっとさせられながら読みました。
私が今まで誰にも話せなかったことの一つに、「安堵感」があります。
母が1年半の闘病生活の末に息を引き取った時、私は大きな大きな悲しみとともに安堵を感じました。
母が闘病中、自分が健康でいること、したいことをできること、 何かを楽しみにできること、つまりは幸せを感じると罪悪感を感じていました。大好きな母がこんなに苦しんでいるのに、自分は「楽しい」と感じているなんて。それはいけない。申し訳ない。
そして母が亡くなり、大きな悲しみととめどなく溢れ出てくる涙とともに「ああ、やっと終わった。」と感じていた自分がいました。
やっと終わった。みんなが泣いて悲しんでいる中、やっと終わったと思うなんて。
母が亡くなってしまったのに、自分のことを考えている自分に罪悪感を感じました。
本書ではこの愛する人が亡くなった後に感じる「安堵感」について触れている項があります。
なぜ、愛する人が亡くなってほっとするのか。
それはだって、彼/彼女が苦しみからやっと解放されたことを知っているから。
それはそうだ。
多くの人がこの安堵感を感じること、またそれを感じた多くの人が私同様戸惑いを感じると聞き、目からウロコでした。
体が思うように動かなくなって、辛いのではないか。
痛くて、辛いのではないか。
死ぬのかな、なんて思って辛いのではないか。
そう思って母に接していた毎日は、母がかわいそうで、辛くてたまりませんでした。
母が亡くなって、闘いが終わったんだと思って感じたあの安堵感。
もう辛くないね、痛くないね。
今まで認めることも恐れていて、あるのにないことにしていたようなこの気持ち。そうだ、この安堵感は母を愛していたからこそ、辛さからの解放に対する安堵だったんだと思えるようになりました。
愛する人が亡くなった後も、残された私たちの物語は続きます。
この本はそんな私たちが日々ちょっとずつ前へ進むヒントをくれると思います。
誰かが亡くなってすぐでも、時間が経ったあとでも心に響く一冊です。
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